社交不安障害や鬱など複数抱えつつ、クルマ・バイクのことやラーメンツーリングなど管理人の日常ブログ。
まだ別れは言わせない… 
一週間前に母が亡くなったので、今日で一週間になります。
明日から月が変わりますが、変わって欲しくないのと時間の経過が欲しいとの矛盾的な考えが生まれてます。
今の職場に決まった時のことなどを考えていましたが、喜んでくれたのも母でしたね。
考えてみれば、東京に新卒時で就職した際も見に来たりと心配もかけたかもしれません。
今の職場は良くも悪くものんびりしていて、時間の流れというか仕事の考え方もゆとりがあります。
ゆとりと言っても、決して悪い意味ではなく、他者に気を配る余裕があるといった程度です。
東京の中央区、金融街がかつての職場で… 仕事の流れも早く、数字に目が行ってばかりの時と比べたら…
今はスローすぎてなんて考えも一時はしていたものです。
反面、かつてのように互いの職場でお互いを競争相手のように常に考え、関係がギクシャクしていないのは有難いです。
午後のスケジュールに余裕があるので、昼食だからと今居るメンバーで蟹鍋を事務所で食べたなんてのは前代未聞。
最初の試用期間の頃にしてもらったことですが、精神科に掛かりながら緊張していた自分を解してくれたのも今の所ですね。
経理課に所属しているのはかつてのことからなのか、名残なのかは分かりませんが
今では、程ほどに神経質&適当なんて部分も生まれました。
若干の不安材料はあったかもしれませんが、非常に心配してということは気にしなくてもいいかと今では言い聞かせてます。
節目節目に関わっていた母はやはり大きい存在ですね。
日常的なことでも思い出が沢山ありますが、全部良かったと思えるものばかりなので、自分には勿体無い存在だった程かも。
自分が去る時はこうは行かないでしょうが。
それは紅葉の進む季節の… 
仕事に出るようになり、昼間はあまり母を亡くしたことは考えなくなりました。
最も、一人になる時間は相変わらずで、
キンモクセイの香りがしたりすると今後も現況のことは思い出しそうです。
3年前に祖母を亡くしてますが、今思うとその時と今は違う寂しさを感じています。
息を引取る直前を見られたかそうでないかとか、色々と違いはあるものの…
この違いはどこから来るんでしょうか。一度体験していれば、立ち直りにもなどと考えてしまいますが…
やはり、それは無理みたいです。
未だに涙だけは枯れぬ。 
さすがに告別式も過ぎ、一段落ついた時なので寂しさからの涙は少し減りました。
しかし、親を失うというのが初めての経験なので、
仕事が終わったり一連の作業などが終わって息抜きをする時などはまだダメですね。
考えてみれば、特に退職後は闘病をずっと続けて長くなる前に母は亡くなったイメージが強いですが…
関節リウマチ→間質性肺炎→悪性リンパ腫(びまん性大細胞型)
どれも難病でした。
健康であれば、あまり意識しないことですが身近にいたことで普段から考える機会は多かったですね。
しかし、職場や関係者にはいないものの、
リウマチの場合は親戚などに目を向けると何人かいるようなので決して珍しくないです。
親として残してくれたもので、今となってはこういうものを抱えたりする人への接し方や悩んでいることなど
今後は少しでも役に立てたいですね。
考えると本当に大事なことばかりです。
行け!○○シロウ!そして○△を 
葬儀などの式典も無事に済んで、家族と居る機会が多かったですが…
明日から徐々に職場へ戻ることに決定。
今日の段階ではまだ焼香に来る人が直接家へ来るので、なかなか気持ちの整理もつきません。
仕事をしている間はマシでしょうが、休憩中やふと一人でいる時間が出来ると勤務中も上の空かもしれません。
少なくとも車やバイクの運転中にそれは避けなければいけませんね。
考えてみれば、霊柩車やマイクロバスなど式に関わる移動で、ここ数日車もバイクも運転していない。
通勤で車などを使う身で、こんなに何日も乗らなかったのは珍しいかもしれません。
だからこそ危険ですね。
引き締めねば・・・・・・
大きかった。そして誰よりも… 
職場の人やお世話になった人などが、
続々と焼香に来て自分の知らない母のことを少しずつ話をされていきます。
仕事をずっと定年まで勤め、仕事柄子どもと関わっていました。
もちろん、不幸ごとの席で悪い話をされる方はいないでしょうが、
聞くと真似の出来ないようなことばかりです。
ただ、そうだろうなと思えることばかりで、多くの人の母親的存在でもあったようですね。
多くの感謝と伝説のようなことまで残している感じですが、
本当のことってこのような時にしか分からないのが悔しい部分もあります。
亡くなる前にでも本人に伝わっていればと思うこともありますが、これも残してくれたものの一つでしょう。
自分が定年の年齢になるあたりまでの目標にもなりました。…超難関ですが。
不思議なことに後悔という感情が… 
親が亡くなった時なので、今は小さい頃からの記憶や思い出などが良く思い出されます。
色々と思い起こすと、ああいうことは言うべきではなかったとか、あの態度はなかったとか後悔の連続。
最も、全くそんなものがないという人はそういないでしょうが、心配をかけたという点では…
自分のケースだと決して少なくはないと今さらながら後悔。
しかし、今のように、他人にも素直に心を開いているというのは理想的な状態でしょうか。
人間関係などを円滑にと日々考えていて、精神科に通院していた現状ですが、
自分自身も身構え過ぎず過ごすというのが抜け落ちてたかもしれません。
解釈は人それぞれだと思いますし、想うことはそれぞれではあるものの、
最後に大事なものを残すというのも親の役目だと言われているようです。
今は素直に「ありがとう」と伝えたいですが、普段でも自然と出るようにしたいですね。
だが、日はまだ終わらぬ。 
適度にバタバタしているものの、昨日から妙に一日が長く感じます。
夜になかなか寝られないとかジーっと考え事をしてたりするからでしょうか。
短いと感じるのはよくあるパターンですが、こういう感覚は近年なかった気がする。
身近な人と別れる際は特別なんでしょうか。
あまり頻繁に感じたくない長さです。
普段こういう感じなら歓迎したいところですが、特別な時だけっていうのは意味があるんでしょう。
…昨日から考えごとばかりですね。今もそうですが…
写本を作る。こんなにコンパクトに 
親などの教えで印象に残るもの…
いくつもあると思いますが、最期になって印象付けられるものかもしれません。
今日の明け方に母が亡くなり、遺品や描いていた絵を見ていてそう思っているところです。
原本は本人に持たせてということなので、スキャンしたデータを保存中。
今はそれが出来るから便利です。子どもの頃だと手元に残らなかったでしょう。
祖父なども考えてみれば、絵を描いていました。
今だったらデジタルのデータで残せたかもしれないですね。
しばらくはこれを紐解く気にはなれないでしょうが、再び見る機会が来ると本人も少しは嬉しいかなと勝手に解釈。
いつになるかは分かりませんが…
どこまでも就いてる奴よ。 
身内や家族など、大変な時は就いていて欲しいと思うのが常だと思います。
ただ、うまくいかないもので、そういう時ほど孤独だったり条件が悪かったりするもの。
ここ数年は特にそんなことを感じているのですが、精神的に辛いのが一番堪えることでしょうね。
もちろん、肉体的にキツイのもしんどいですが、心情的なものよりは軽いような気がする。
病院にかかっている身で、そう思います。
砂糖は要らぬ、使わぬ。 
今では微糖タイプか無糖のコーヒーを飲むのがすっかり習慣化してます。
味覚の変化とも言えますが、そもそもコーヒーを飲み始めた頃は当然無糖などではなかったですね。
中学あたりまでは紅茶ばかりで、高校入学時頃からカフェオレのような飲み方を始めたはず。
大学受験の頃も寝不足の睡魔を何とかするためにコーヒーを飲んでましたが、
今考えればもう少し苦いものの方が○でしたね。^^;
大学入学後には、もう少しコーヒーくさいのを飲んでましたが微糖ではなかったです。
今のスタイルは東京での営業時代からですね。…多分
今後さらに変わることは… 謎